豊中市と沖縄市の交流の始まりは、昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から豊中にいる沖縄戦の戦没者の遺族へと霊石と仏桑華(ハイビスカス)が届けられたことです。そのきっかけとなったのは、豊中市の助役(当時)竹内義治氏(故人/昭和41年から49年までは市長)が沖縄道路事情視察団の一員として沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)と懇談する機会があったことでした。
豊中市と沖縄市の交流の始まりは、昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から豊中にいる沖縄戦の戦没者の遺族へと霊石と仏桑華(ハイビスカス)が届けられたことです。そのきっかけとなったのは、豊中市の助役(当時)竹内義治氏(故人/昭和41年から49年までは市長)が沖縄道路事情視察団の一員として沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)と懇談する機会があったことでした。
翌年の昭和40年から、コザ市職員が豊中市に訪れ豊中市の様々な部局での研修が始まりました(当時アメリカ軍の統治下にあった沖縄では日本の行政事情が分かりにくかったのです)。コザ市職員の間で「豊中学校」と呼ばれたこの研修に訪れた職員は、昭和50年代にかけて延べ100人あまり、中には数カ月にわたって滞在した職員もいました。
昭和47年(1972年)に沖縄が本土復帰し昭和49年(コザ市と美里村が合併して「沖縄市」が誕生。同年11月3日、沖縄市誕生市民祭典の場で「兄弟都市宣言」に調印しました。
<兄弟都市宣言>
『豊中市と沖縄市の友好は昭和39年沖縄市が第2次世界大戦の戦没者遺族のために豊中市に霊石と仏桑華を送ったことに始まる。以来、両市は都市問題、教育文化の交流を重ね相互の理解と信頼を深めてきた。この歴史的背景のもとに、さらに両市の友好と市民相互の交流を深め、市民福祉と平和を祈念してここに兄弟都市であることを宣言する。』
昭和49年11月3日 豊中市長 下村輝雄、沖縄市長 町田宗徳
姉妹都市ならぬ『兄弟都市』であるのは沖縄の「いちゃりばちょーでー(出会えば、みな兄弟)」という言葉に由来していると言われています
※写真は豊中市とコザ市の友好と親善を祈念して昭和46年に豊中市がコザ市(当時)の沖縄こどもの国に建立した少年の像「合奏」(吉田叡示 作)
兄弟都市交流の主な歩み
昭和39年 (1964) |
コザ市から豊中市へ霊石と仏桑華(ハイビスカス)が贈られる |
昭和46年 (1971) |
沖縄こどもの国に少年の像「合奏」建立 |
昭和49年 (1974) |
沖縄市誕生(4月1日) 兄弟都市宣言(11月3日) |
昭和52年 (1977) |
「豊中市・沖縄市少年少女合唱交歓演奏会」の開催 |
平成4年 (1992) |
沖縄市から豊中市役所第二庁舎竣工を記念し「友好のシーサー」贈呈 |
平成5年 (1993) |
豊中市から沖縄市役所新庁舎竣工を記念し「友好の壁画」贈呈 |
平成9年 (1997) |
沖縄市にスポットをあて「おっきなわ」をテーマとした豊中まつりが開催される (以後、毎夏、沖縄の文化・芸能を紹介) |
平成10年 (1998) |
豊中市少年少女サッカーチームRFCと沖縄市サッカーチームとの交流が開始 |
平成16年 (2004) |
兄弟都市提携30周年 「豊中まつり」及び「豊中市・沖縄市兄弟都市30周年記念式典」開催 |
平成24年 (2012) |
豊中まつりにて沖縄市料理飲食業組合「Aランチ」を販売 チャンプルー博覧会にて「豊中ナイト」、「コザNight in とよなか」を開催 |
平成25年 (2013) |
沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルのための沖縄訪問を開始 沖縄市産業まつりへのブース出展を開始 |
平成26年 (2014) |
兄弟都市提携40周年 「豊中市・沖縄市兄弟都市提携40周年記念式典」及び「市民交流会」を開催 |
友好のシーサー(豊中市役所)
友好の壁画(沖縄市役所)